ナマケモノブログ。

ぼーっとしようよ。

雑文

お久しぶりのブログです。

忙しかったり、めんどくさかったりで書くことをやめてたら、無性に書きたくなってきた。だから書く。推敲はしない。雑文を丸々出す。

最近は日々を無感動に消費している。ためにも何にもならない毎日。ニュースを見て、しょうもねぇなぁ、と言ってる僕が一番しょうもない。

でも、口には出ちゃう。

頭に思いついたことから吐き出していこう。

前回書いた表現の自由の話の続き的なものになる。表現の不自由展をはじめとした最近の表現の自由についてのニュースの最新版。映画祭の件だ。

あれがニュースになった時、Twitterでは左翼も検閲してんじゃん的なツイートが多かった。おそらく、映画が歴史修正主義的な映画だと勘違い人が呟いていたのだろう。僕もすっかりそう思ってしまっていた。慰安婦問題について取り上げた作品=正当化しようとするものを人権意識の進んだ川崎が止めようとしたのかと思った。

ただ、その後NHKのニュースで市に訴えを起こしているのが新しい歴史教科書を作る会の人間だと知って勘違いに気づいた。

つまり、あっちの人間なのだ。なぁんだ、やっぱりか。

それでいて、左翼がダブスタで検閲をしようとしている!なんてひどい自作自演だ。

歴史修正主義ここに極まれりってか。

 

あとは、なんだ。英語の民間試験のやつだ。僕には弟がいて、そいつは受験がドンピシャの年だったからひどく安心してた。前々からいろんな情報が出ていた。民間試験の丸つけをするのはアルバイトの大学生で、それなのに記述問題が多い、つまり難しい丸つけをど素人にさせるだとか。試験にお金がかかるからそこに公平性がないだとか。散々当事者から声は上がっていた。

あんなに高校生が声をあげ、識者が声明を出しても頑なに変わらなかったモノが、大臣の失言を契機に一気に変わった。呆れたね。

判断材料はとっくに出ていた。大臣の失言前と後でマイナス要素は変わってない。

メンツかなんかだろうがそんなモノに国民が踊らされてるんじゃないかと思った。

受験という人生の一大イベントすら不都合に目を瞑り強行しようとしてた政治家共なら、知らないだけできっと他のことも不都合から目を逸らし強行しているものがあるだろう。嫌な話だ。

 

さて、ここまでさんざん権力者に文句を言ってきた。これについて時々ふと考えることがある。おそらく遥か昔からこんな行為は行われてきたわけだ。王やら貴族やらに文句を言ったり不平をこぼしたりする姿は今も昔も変わらないだろう。

これはもしかして、反抗期の一種なんじゃないだろうか。人間の本能に刻まれた仕組みとして僕は思考し、何かをぼやくのではないか。成体となった時に母体を離れ、彷徨うためにヒトは住んでいる社会に不満を持つのではなかろうか。遺伝子に刻まれたモノによってヒトの動きが規定されていると空想をする。