ナマケモノブログ。

ぼーっとしようよ。

今日の雑記。

 雑記だ。くだらないことを、意味もなく、さほど考えずに、書く。

 この話はたぶん書いていない、はず。僕は基本的に右翼アンチだ。左翼とも言えるのかもしれないが、右翼アンチ。なんでかは知らないけど、これまで生きてきた中で、右翼と呼ばれる人たちに良い印象を持たなかったのだ。

 大学で、人権論と現代史を学んだ。学んだって言っても専門の学部でもないし、ただ15回の授業を受けただけだ。でも、それは僕が右翼と呼ばれている人たちに対して感じていたモヤモヤ感を解決してくれる手助けをしてくれた。僕は素人だ。専門家ではないし、これからより勉強をしようという気概もない。だけど、日韓関係や政治家のコメント、ツイッターなどには、議論についていけるだけの判断材料は荒いものの、持てた。

 元から、いわゆる日本バンザーイ的なモノに疑問を僕はもってたから、より硬く、鋭く意見を固めてしまった。得たばかりの知識を振り回しまくって遊んでたわけだ。

 そうしたら、家族から過敏すぎないかと言われた。確かにそういう側面もあるのかもしれないけども、狂信的に見える的なことを、ぼんやり言われた。

 僕は、びっくりした。僕にそんなつもりはなかった。狂信的なものなどは一番嫌いなものだっただけに、ショックだった。でも、薄い知識をもとに断定口調で曖昧なことをくっちゃべる僕はそう見えたのだろうと同時に気づいた。

 僕は、はっきり言ってマヌケだし、バカだ。それでいてプライドが高い。僕はそれを自覚しきれていない。うっすら、わかっているつもりになっている。わかっているつもりだから、難しいことをわかっている風に話してしまうし、こうやって文章を書いている。でも、わかってないし、文章も下手くそだ。

 まぁ、政治だったり、意見をバカは持つな、なんてことはないから問題ないんだけど。ともかく、僕は難しい話をアンチ右翼的な姿勢で語りたいわけだ。そもそも、語ろうとするところがバカだ。さらに、こうやって予防線貼ったりしてるとこもすごいバカ。

 ともかく、僕は自民党だとか、右翼の方々の人権を無視した姿勢が嫌いだ。これは感情だ。人間として腹が立つ。だから、彼らが好きな天皇愛国心も嫌いだ。そこに、彼らの願望があり、その前に人権が捨てられているからだ。

 僕の最近の基本原理はこれだ。そして、これ一辺倒でも悪いという認識もできた。だから、改善していきたい。つまり、反右翼をコンテンツとして楽しむことをだ。右翼の方々が、右翼的思想をコンテンツとして楽しむように、僕も反右翼をコンテンツとして楽しんでいたわけだ。これは、ただ怒りをワザと産み、それを絶対的な悪にぶつけるという、いわば洗脳な訳だ。まだ読んでいる途中だが、実に似た表現が1984年というディストピア小説に出てきた。まんまじゃないかと思った。どういう結末になっているかわからないので、これがどのように表現されているのかはわからないが、決して良い例ではないだろう。

 あまり気にせずに、能天気に暮らしても、めっちゃ気にしてもディストピア1984年を読破したらまたこれについて書こうかな。