僕は生きているのだろうか。
僕は死んでいるんじゃなかろうか。
他人の人生を眺めたときに自分の人生の鮮やかさと比べ自信がなくなる。僕は決して境遇は悪くない。むしろいい方だ。それは確信できる。
ただ、自分という個人を見たときに、ひどく退屈だと思う。
特に才能もなく、努力もせず、漫然と時間を潰すように生きている。
確かに僕は”生きている”が、それは”死んでない”だけとも言える。
自分の周りの人間は燃えるように生きている。何かになろうと、必死に生きている。
僕はなんの為にも生きていない。ただ、生きている。目標も理想もなく、ただ。
僕は、この事実を昔から無視してきた。仲の良かった幼馴染が中学受験をした時や、有名高校を目指して猛勉強をする友人。予備校で必死に受験勉強をする同い年の彼ら。彼らがいち早く現実に立ち向かう中で、僕はいつまでも逃げていた。
僕は、将来を見て生きることを拒否していた。僕は未来に恐怖していた。
そうして生きていくうちに、僕はどうやら死んでいるんじゃないかと思うようになった。
必死に現実に向き合った彼らは輝くような現実と未来がある。当たり前だ。
だが、そこで彼らと同じラインにいた僕の姿が浮き上がってくる。
僕は、その時から死んでいた。未来から逃げ出す僕と、立ち向かう彼ら。そこには明確な差があった。
僕は元から死ぬように生きていて、彼らは元から生きていた。それだけだった。
元から比べるまでもなく、奴らは生きていた。僕らの生き方が霞むほど精一杯。
僕はその時から彼らを眩しく思いながら生きていた。
奴らが輝けば輝くほどに僕の人生はちっぽけになっていく。でも、それはグラフで目に見える形で差が大きくなるだけで、生きてるってことだけでどっちも100%だ。
結局、これも諦めなのかもしれない。でも、僕は僕なりに生きている。奴らと比べたら死んでいるようだけど、僕は生きている。
そう言い聞かせて、明日もくだらない日常を紡いでいく。