夜更かし。
最近四時くらいまで起きてしまう。完全な昼夜逆転だ。正直しんどいけど、本気でやめられない。YouTubeでお笑い見てるのが本当に楽しい。ぼーっと笑える。
いろんなお笑いの動画を延々と見てるけど、やっぱさんまさんってすごいね。滑らない。様式美に落とす。しょうもなくても、面白くさせる。なんかスポーツみたいだなって思った。技術。チームスポーツ。味方のミスをフォローして、ついでに得点に繋げるみたいな。お笑い芸人ってすごい。ラジオとか、テレビとか、いろんな奴を適当にポンポン見てるけど、本当にすごい。
夜更かしのしすぎで、頭が回ってない。
こんくらいでちょうどいい。お笑い。なんか、書く前は哲学的な発見をしてたんだけど、書いているうちに忘れちゃった。バカだなぁ。
ラジオ、ラジオもいいよね。声だけだけど、より面白い。なんでだろうね。テレビもいいけど、ラジオの方が面白いように思っちゃう。じっくり聴くからかな。テレビもいいけど、忙しい。編集されて、強調されて、すごく笑いやすい。ラジオは基本的に生放送だったり収録でも、1人喋りで、じっくり、ゆったり話すのを聴くからなんか面白い。
バイト、コンビニバイトしてるんだけど、どうもしんどい。しんどいっていうからしんどくなっちゃうんだろうけど、つまらない。仕事ってそんなもんなんだけど、つまらないものは面白くない。そしたらやる気がなくなるわな。
でも、最近良く考えるんだけど、仕事ってなんだろうって。まだ働いたことないからわからないけど、働くってことって面白いことなのかな。人生をかけて、奉仕する。役割をもらうということが人間の精神衛生上必要なことはわかるんだけど、苦行を好んでする、するか。昔から人間ってそうなのかな。苦しいことをしたいのか。苦しいことをすることで、自分に益があるからするのかな。
体制側と、反体制側。たぶん反体制側のほうが正しい。それは効率的にも、平等的にも。でも体制側がかつ。体制側で利益を貪る方が特だから。反体制側で頑張った結果得たものよりも、体制側でもらった利益の方が大きいから。このシステムが世界を不平等に、不都合を発生させる。世の中のおかしいことは絶対おかしい。でも治らない。
社会と個人。社会のために生きることが個人の幸せに繋がる。それは社会のために生きた人々による利益が個人に還元されるから。でも、普通知らん他人のために努力するかな。
かけば書く度に脳内で思考が変わるから、文章がおかしい。
難しいことを描きたいんじゃない。空想をそのまま書きたいんだけど、邪魔なものが多すぎる。
話をでかくさせすぎなのかもしれない。今めんどくさい、つまらない仕事をやってお金をもらうことは果たして、正しいのか。そんなわけないだろう。きっと、この世界はどこかおかしくて、何かが変なんだろ、ってことを言いたい。結局は。
あぁ。あぁ。最近本当昼夜逆転のしすぎで、何か胃がムカムカする。ウヘェ。おやすみ。
表現。
僕は、表現者とやらに憧れを持っている。自分の世界観を世に訴えて、それが評価される彼らは、本当にかっこいい。僕は彼らのように何かを表現したいという欲望がある。
だけど、僕は今でそれをしてこなかった。思いとは裏腹に一度も何かを作らず、考えず、見なかった。本気になれないほどの、小さな憧れ。きっかけが必要だった。何かしなくてはならない。僕は大学で部活にはいった。そこで、初めて同い年の表現をする人たちを正面から見た。彼らはかっこよく、作品も素晴らしいと思えた。自分が出したものが恥ずかしくなるほど。僕は、彼らのようになりたい。彼らを超えて、何かを作り出したい。実に欲深い、低俗な理由から、僕は表現にちゃんと向かおうと思えた。
理想は低く、現実はみない。
これが僕の生き方。理想は低く、とか言いながら実はめっちゃ理想高かったりしちゃう。でも、それに死ぬほどこだわらない。無理ならいいや、って諦められるほどの執着心。
それで、現実を見ない。あと、どれだけ努力すればそこにたどり着くかを、考えない。勝負を、諦める。
それが、ダメ人間を産むための心持ち。いつかは、これが通用しなくなって辛いことが起きるかもしれないけど、僕はこれで今まで幸せに生きてる。
理想は低く、現実は見ない。勝負に夢中にならずに、むしろどこか呆けて生きる。一生懸命生きることは美しいし、素晴らしいけど、少し、辛い。だから、勝負に命を預け過ぎない。どこか、本気にならないで、他人事で生きている。
きっとこれは、駄目な生き方だ。後悔するだろうし、誰のためにもならない。でも、自分の精神衛生上、この上なく良く働く。自分にダメージがほとんど行かない。
ダメージとは、心の傷だ。自分をどこか変えてしまうほどの傷。それは時には良いことのように言われるし、実際、それで成功したりしている人も世の中にはいるのだろう。僕は、そういう人間ではなかったという、話だ。何かに夢中になって、転んでも立ち上がって目標に向かって進む、ということが心底苦手な人間というだけだ。
でも、こういう人間はうまく生きていけない。物事に真剣に立ち向かわない人間を人は信用しないし、むしろ邪魔だと言って排除するのだろう。
僕は、このままでは駄目だと思う。でも、そうでない自分にするためにする努力をできない。僕は、僕じゃないか。駄目な人間さ、って諦める自分がいる。僕は、変わりたい。でも、変えられないし、変わりたくない。それらが、全て同時に僕の中に存在する。
世の中は、自分を常に変え続ける人間が作っている。僕はできる限り、ずっと自分のママでいたい。そして、それはきっと許されない。進化を、強化を、し続ける。
この世は資本主義。金のために、常に成長を。それは、社会にも、個人にも強く求められる。僕は、もう少し、その要請を断ろうと思う。
ギリギリ暑い。
最近ギリギリ暑い。エアコンをつけるかと言われると迷っちゃうぐらいの暑さ。窓開けてたら、風くるし扇風機に当たってたら、ギリギリ耐えれるレベルの気温。
悩ましい。エアコンをつけてもいいのかもしれないけど、それだと涼しすぎるかもしれない。でも、今は少し暑い。ギリギリ耐えられてるけど、暑い。その、暑いと言っても、汗が出るか、出ないか、ギリギリの感じ。
八月も終盤に入ってきて秋っぽい気候になってきてるとはいえ、やはり八月。暑い。
日中の、今、この時間帯。エアコンどうしよっかな。つけるか?でも、やっぱり風は涼しい。うーん、ギリギリ。
さて、現在の時刻は一時五分。お昼過ぎの、一番日射が強い時間だ。父と弟は外に用事で出て行ったけど、信じられないね。良くやるよ。
僕は今日5時からバイトがある。だから、四時半ぐらいには準備を終わらせるとして、残り時間は約三時間。この時間をいかに使うか。悩む。
昨日から、24時間テレビはやってるけど、全然興味が惹かれない。相葉くんの演技が下手すぎてドラマをちらっとみて鼻で笑って変えた。今までの単独走者による24時間マラソンから駅伝方式に変わったみたいだけど、そしたらいっそ嵐と一緒に20年でやめればいいのになって思った。エセチャリティー番組という認識が浸透した今、果たしてあの番組に意義はあるのだろうか。全ての人に負担を強いるだけの番組のように感じる。
ゲームをするか、読書をするか、昼寝するか。悩ましい。ゲームはモンハンか、グラセフか。僕は壊滅的にゲームが下手くそなので、5時間ぐらいあったらやってもいいかなって思えるけど、3時間だったら悩む。
読書はいいけど、どうしよっかな。昼寝といい勝負を僕の心の中でしてる。asmrを聴きながらの昼寝が最高に気持ちい。天秤に掛けてもふらふらしてる。
やっぱ、昼寝かな。結局一番有意義でないものを選択する。それが、ナマケモノクオリティ。ひとまずゴロつこう。
ではでは。